名古屋市美術館特別展
出光コレクションによる ルオー展 作品について

サロンにてI [劇場にて][1906年]

サロンにてI [劇場にて]
≪サロンにてI [劇場にて]≫1906年
©ADAGP,Paris&SPDA,Tokyo,2006

1890年に入学した国立美術学校で、ルオーは絵画を本格的に学びます。象徴主義の画家ギュスターヴ・モローの教室に在籍し、その強い影響下でレンブラント風の神話や宗教画を描いていました。

1898年に恩師モローが亡くなると、ルオーはしばらく制作ができなくなるほどの大きなショックを受けます。しかし、この失意の数年間を経て、ル オーの絵画は一変しました。1902年以降、解き放たれたかのように、荒く激しい筆づかいと透明感のある彩色で、サーカスや娼婦といった「人間」を描く独 自の世界を確立したのです。

初期の作品を代表する《サロンにて・[劇場にて]》では、上流階級の婦人と思われる2人が描かれていますが、ルオーは彼女達を醜悪かつ暴力的に表現 しています。初期のルオーは、娼婦、踊り子、ブルジョワの婦人など、女性をこのように容赦なく醜く、あるいは悲惨な姿に描き続けました。社会の極で生きる 女性たちを、欲望の犠牲者あるいは傲慢の象徴として際立たせることで、人間社会の愚かさを浮かび上がらせ、見る者に突きつけます。

「回想録」自画像I[1926年]

「回想録」115 自画像I
≪「回想録」自画像I≫1926年
©ADAGP,Paris&SPDA,Tokyo,2006

恩師モローの生誕100周年を契機に構想された、ルオーの版画の中でも数少ない石版画の作品です。

「回想録」はルオーが強い影響を受けた芸術家、作家(モロー、ボードレールなど)へのオマージュを綴ったもので、彼らの肖像画にあわせてルオー自身の肖像画も作成されました。帽子を被った額の広い姿が印象的ですが、目には濃く影が落ちています。
ルオーはこのほかにもいくつか、油絵や石版画による自画像を同じ姿で制作しています。

「ミセレーレ」 42 母親に忌み嫌われる戦争[1927年]

「ミセレーレ」42 母親に忌み嫌われる戦争
≪「ミセレーレ」 42 母親に忌み嫌われる戦争≫1927年
©ADAGP,Paris&SPDA,Tokyo,2006

1912年にルオーの父が亡くなり、その悲しみをきっかけに《ミセレーレ》の構想は生まれました。1914年には第一次世界大戦が勃発し、ルオーは この世界規模の悲劇を個人的な悲しみとをあわせて、“ミセレーレと戦争”という形でまとめた版画集の出版を企図します。構想から最終版の制作まで約15年 を費やした後、銅版画連作《ミセレーレ》は1927年までに大部分が完成しました。磨きや削りなどあらゆる技法を駆使し、銅版に何度も手を加えた結果生ま れた画面は、比類ないほど美しい白と黒のコントラスト、絶妙な諧調を獲得しています。

描かれたのは生きることの苦しみや孤独、戦争を生む人間の愚かさです。しかしまた、贖い主キリストや聖母の姿からは、慈悲の心や平和への祈りが自ずと伝わってくる、感動的な作品です。

小さな家族[1932年]

小さな家族
≪小さな家族≫1932年
©ADAGP,Paris&SPDA,Tokyo,2006

ルオーは比較的小さなサイズの作品を多く描きましたが、この《小さな家族》は高さ2メートルを越す例外的な大きさの作品です。タピスリー(つづれ織 の壁布)制作の実物大下絵として描かれたためで、四辺には額縁のような装飾模様が施されています。《傷ついた道化師I》(1932年)という、この作品と 対になる作品があり、パリの国立近代美術館に所蔵されています。

滑稽なしぐさで人々を笑わせたり、アクロバットで人々を楽しませる道化師たち。舞台を降りてまもなく、彼らが1組の家族に戻った様子を暖かく、あるいは哀しく描いています。

「受難」28 “何と言う流血の畝、何と言う落涙の耕地”[1935年]

「受難」28 “何と言う流血の畝、何と言う落涙の耕地”
≪「受難」28 “何と言う流血の畝、何と言う落涙の耕地”≫1935年
©ADAGP,Paris&SPDA,Tokyo,2006

ルオーは詩人アンドレ・シュアレスが綴った宗教詩「受難」の挿絵として、場面ごとに17点の色彩銅版画と82点の木版画を制作しました。この詩画集 『受難』は1939年に刊行されましたが、それに先だって、油彩による連作画「受難」が完成しています。これは、82点の木版を制作した後に不要となった 版下絵を、油彩で描き直したものです。82点すべてが油彩画へ描き直されたかどうかは不明ですが、出光美術館は実に64点の「受難」を所蔵しています。

「受難」は、イエス・キリストの最期を頂点とする一連の物語です。キリストは兵士にむち打たれ、茨の冠を被せられ、やがて十字架に架けられ命を落と しますが、ここではその虐げられた姿が描かれています。「(…)嘲弄する冠が地面の方へ傾けさせたあの額とそこから滴り落ちる血とを見よ。彼の髪は、肉色 の赤いリボンで編まれている。両頬には赤い溝の皺ができている。なんという血の畝溝、なんという涙の耕地。(…)」(アンドレ・シュアレス)

たそがれ あるいは イル・ド・フランス[1937年]

たそがれ あるいは イル・ド・フランス
≪たそがれ あるいは イル・ド・フランス≫
1937年
©ADAGP,Paris&SPDA,Tokyo,2006

1930年代後半から、「聖書の風景」または「伝説の風景」と呼ばれる風景画が多く描かれるようになりました。黄昏時の郊外や湖のほとりを描いたも ので、そこには何人かの人々が佇む様子が見受けられます。どの作品も神聖な光と静謐な雰囲気につつまれており、中には人々の中にキリストらしき姿が認めら れることもあります。

《“たそがれ あるいは イル・ド・フランス”》の裏の木枠には、ルオーの筆で「伝説の風景」と記されています。美しい夕暮れの光の描写、安らぎが支配する雰囲気など、まさにこのジャンルを代表する傑作といえるでしょう。

X夫人[1947年頃]

X婦人
≪X夫人≫1947年頃
©ADAGP,Paris&SPDA,Tokyo,2006

初期には《サロンにてI[劇場にて]》のように、娼婦などの女性を極めて醜く描いていたルオーでしたが、やがて娼婦の姿は描かれなくなり、1930 年代後半には穏やかな表情をもつ女性像が多くなります。彼女たちはおおよそ髪に豪華な飾りをつけており、高貴な女性か、あるいはサーカスの花形のように見 うけられます。

しかしながら、この一見優雅な婦人像を、傲慢と偽善に満ちたブルジョワの象徴「x氏」というキャラクターの妻である「X夫人」と見る向きがありま す。「ミセレーレ」には、いかにも穏やかな顔で祈りを捧げている女性の横顔が登場しますが、この作品には“上流階級のご婦人は、天国で予約席につけると信 じている”という標題がつけられています。その表情には、ただ偽善や欺瞞を咎めるだけではない、ルオーの憐れみのような感情が反映していないでしょうか。

ルオーはまた、次のような詩句も残しています。「私はまっすぐ天国に行きますと彼女は言った/私自身が育てられたように/私は子どもたちを立派に育てたからです(…)」。